ひがし茶屋街

ひがし茶屋街は、石川県金沢市東山にある茶屋街です。

風情ある古い街並みが多く残り、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

ひがし茶屋街は、1820年、12代藩主成斉(なりなが)の時代に加賀藩公認の郭(くるわ)として作られたのがはじまりで、当時は、武士や町人の遊びの場であり、同時に社交場でもありました。

ひがし茶屋街には、食事処、カフェ、お土産屋さんなどが立ち並び、たくさんの観光客が足を運ぶ観光スポットです。

ひがし茶屋街について

ひがし茶屋街

ひがし茶屋街は、石川県金沢市東山にある茶屋街です。

石川県には、3つの茶屋街「ひがし茶屋街」「にし茶屋街」「主計町茶屋街」があり、その中でも観光客に最も人気があるのが、ひがし茶屋街です。

ひがし茶屋街には、江戸時代からのお茶屋建築や、風情ある古い町並みが多く残っています。

ひがし茶屋街は、南北に約130メートル、東西に約180メートル、約1.8ヘクタール(約5,500坪)の広さがあります。

ひがし茶屋街

2001年には、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定され、保存区域内の建築物140のうち、約3分の2が伝統的建築物です。

ひがし茶屋街には、江戸時代から明治初期に作られた茶屋建築がたくさんあり、2階が座敷で、1階よりも高さがあるのが特徴です。

ひがし茶屋街の歴史

ひがし茶屋街の歴史

ひがし茶屋街は、1820年(文政3年)、加賀12代藩主・前田成斉(なりなが)の時代に加賀藩公認の郭(くるわ)として作られたのがはじまりです。

※郭は、現在の繁華街のようなイメージです。

金沢城を挟む形で流れる浅野川・犀川付近には多くのお茶屋が立ち並び、浅野川ほとりを「ひがし」、犀川ほとりが「にし」という形で開かれていきました。

茶屋イメージ

当時、能楽や歌舞伎が盛んだった金沢では、笛(ふえ)、鼓(つづみ)、太鼓(たいこ)、三味線、長唄などが、武士や町人に親しまれました。

茶屋街では、芸妓がこれらの芸能を披露し、遊びの場であるとともに、武士や町人の社交場だったそうです。

江戸時代が終わり、明治時代に入ると、老舗の旦那衆が茶屋の上客となり、自らも三味線や長唄を楽しみました。

日本陸軍

1872年(明治5年)、金沢城が陸軍の指令部に使われるようになると、陸軍の将校が茶屋の上客に加わりました。

高度成長期には、金沢の大企業のトップが、羽織袴(はおりはかま)に白足袋(しろたび)で茶屋へ通い、「白足袋族」と呼ばれたそうです。

現在は、地元の経済人などが接待の場として利用し、茶屋街の風情や伝統を大切に守っています。

芸妓イメージ

また、金沢商工会議所が中心となって設立した、金沢伝統芸能振興共同組合では、芸妓の育成と素囃子(すばやし)の発展に取り組んでいます。

※素囃子とは、笛、鼓、太鼓など日本古来の和楽器のみで演奏することを言います。

ひがし茶屋街の見どころ

ひがし茶屋街

ひがし茶屋街の見どころは、風情ある町並みと茶屋建築です。

また、茶屋街には、情緒ある店構えの食事処、カフェ、お土産屋さんなどが立ち並んでいます。

木虫籠

ベンガラ色で細かい格子の「木虫籠(キムスコ)」や、2階の両脇にある突き出た木壁の「袖卯辰(そでうだつ)」などが見られます。

夕暮れ時のひがし茶屋街

夕暮れ時になるとお店の明かりが点灯し、趣きのある街並みになります。

懐華樓

現役のお茶屋である懐華樓(かいかろう)は、昼間はお茶屋内を見学でき、朱塗りの階段・お座敷・金箔畳の茶室などが見られます。

※懐華樓については、下記ページに詳しく記載しています。
懐華樓について

志摩

昔のお茶屋である志摩(しま)では、ベンガラ色の広間・艶やかな遊芸が行われた控えの間などが見られます。

※志摩については、下記ページに詳しく記載しています。
志摩について

ひがし茶屋街の基本情報

ひがし茶屋街の基本情報

住所:石川県金沢市東山
電話:076-232-5555(金沢市観光協会)
入場料:なし
アクセス:北鉄バス・橋場町バス停(4番)から徒歩2分

ひがし茶屋街の地図

ひがし茶屋街の地図